宮山の麓に開山堂という小さいお堂があります。
昔、むかし私の幼い頃は学校を終えると、いつも子供たちの遊び場となる近くの八幡神社の境内に出かけ、暗くなるまで遊び惚けたものです。
遊びといっても小さい弟や妹を背負い、竈の薪や風呂の焚きつけにする枝や、杉の葉を拾いながらです!
当時、その八幡さんの裏から宮山の頂上に通じる道は昼間でも暗く不気味な気を感じさせていました。 たまに中学生の兄さんを頭に男の子達が、肝だめしに山道に入り、血相を変えて戻ってきて、祈り釘の藁人形をみつけたとか、ある時は自殺者を見つけ、警察や大人達が集って大騒ぎになったこともありました。
今では宮山の頂上に通じる両側に桜並木ができ、春にはピンクの帯となり連なり続き、桜の隠れ名所となっています。
その山道の入り口に開山堂があります。
今から八年前のことでした。
山道の中腹にお祀りされているお地蔵さん(別文参照「八幡さんの桜」)へ妹と(といってもとうに還暦をすぎている)と花を手向けの帰り途、お堂の前で
足を止めました。
妹は戸の小さい升目の間からお堂のなかを覗き込みました。
妹がつぶやきました。
「開さん、睨んでる。」
お堂には法灯国師無本覚心上人様(由良興国寺の禅僧)の実物大ほどもある大きな像が安置されています。 その覚心上人様を私たちの所では「開さん(かいさん)」と呼んでいます。 その開さんが睨んだというのです。
お堂のなかは、長い間人の手が入っていないようで、埃がふりつもっていました。
さあ、それから数日後、清掃活動がはじまりました。
鍵がかかっています。 八幡さんに尋ねました。 誰が管理しているのですかと。 そして、日は決められないが一カ月に一度は清掃をしたいのですが、と申し出ました。
お堂のなかはどこから、なぜ集まったのかもわからない物がうず高く積み重なっていました。
どうみても不要と思われるもの(巨大な蛇の抜け殻、湿った布団、カーペットetc・・・)は大体片付け、後は仏事に関する事なので勝手に触れるわけにもいきません。 祭壇に弘法大師様のお軸が掛けられていたので、医王寺さんという高野街道にあるお寺のご住職にお願いして、仕分けをしていただくことになりました。
そうしてようやくすっきりしたお堂のなかで、開さんの表情が少し柔らかくなったように感じられました。
古い書付によりますと、建治四年(一二七八)、野上庄の寺中姫が重病にかかった時、覚心上人(開さん)を呼びそのお堂で加持をしたとき、八幡神があらわれ、八幡神と開さんが三十にもわたる問答を繰り広げたという。
その日が二月十八日と記されていたので、勝手にその日を祭事の日と決め、毎年ささやかながらお祀りしています。
去年、県の博物館で『中世の村を歩く~紀美町の歴史と文化~』という特別展が開催されたとき、開さんが会場のど真ん中、ガラスケースのなかで鎮座ましましておられました。いつものお堂でのお姿とあまりにも違っていて、しばらく開さんだとわからず、きょろきょろ会場の中を捜しまわったくらいです。
長い会期を終え、無事お里にお戻りになられた開さんは、やれやれ落ち着いておられました。